
翔んでベトナム30年 私の肩書きは、私
出版社: Kフリーダム
- 女ひとり渡ったベトナムでの生活。何の肩書きも持たない私の「自分にできること」がやがて自分の『居場所』を築いて気づけば30年。
- 女ひとり渡ったベトナムでの生活。何の肩書きも持たない私の「自分にできること」がやがて自分の『居場所』を築いて気づけば30年。ベトナムに引き取った認知症の母との暮らし、残留日本兵の家族探しなどを紹介するエッセイ。
どうしてベトナムで30年も暮らしたの?
そこでいったい何をしていたの?
そう問われたら、こう答えよう。
「そこに居場所があったから」
バブル絶頂期の日本を後にして45歳でひとり降り立ったベトナムは、戦争終結からわずか17年という“戦後”の高度成長期前の国だった。覚悟はしていたものの、勝手が違い過ぎて毎日面食らうことばかり。笑うか諦めるしかない日々の中で知ったのは、人とのつながりがすべてなのだということ。たくましい人々との交流と人情を活力に、暮らしに仕事に奮闘しながら築いた信頼関係が、新しい人生の扉を開いたのだった。
第二次世界大戦中に日本軍が持ち去ったと思われるベトナムの梵鐘の返還への尽力、日本語を教えていた生徒の「私の父は日本人。いつか父に会える日のために日本語を話せるようになりたい」という一言から始まった、離れ離れになった家族探しなど、出会った人々の想いに共鳴するままに動き続けたその軌跡。
そして、故郷の新潟から認知症となった老母を引き取りともに暮らした13年間。そののちに訪れた看取りのときを経て思い至った母の人生と、じぶんについて。自らの生い立ちから、“ベトナムの小松”の血となり肉となったハノイでの30年を振り返る、さわやかにして痛快な手記。
当時の日本に生きにくさを感じ、何の肩書きも持たずに飛び込んだベトナムという国。
こで働き、暮らしたことによって多くの経験と人とのつながりを得たことで新たな形を成した著者の“人生”を読むことは、これから翔ぼうとしている多くの女性たちへのエールになるだろう。
戦後80年を経た今、若い世代にもベトナムと日本のかつての関係を学び、人と人レベルでの交流の歴史をつないでいってほしいと願う。- - - - - - - -
第1章 トニョム通りの人々
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ベトナム高度成長期前の街・ハノイの暮らしは停電とともに
銃をギターに持ち替えて…トニョム通りのゾイねえさん
空襲警報! マドンナは銃を構えて外に走った
ベトナム暮らしのイロハを大家さん一家に学ぶ
郷に入って郷を知るベトナムの近所づきあい
認知症の母〝越後のBaちゃん〟が晴らした私のスパイ容疑
母のための風呂と生活環境を求めて、さよならトニョム通り8番地
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第2章 VOV「ベトナムの声放送」と私
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50年前から日本に届くベトナムのラジオ番組
教材がない、辞書もない。ないないづくしの日本語教室
切り抜く仕事、つなぐ仕事
日本のリスナーに〝ベトナムのいま〟を伝える
ベトナムタイムとオフィスの習慣
NHKとVOVの8時間ぶっ通しベトナム紹介1
赤い服の渡り鳥の思い出5
サイゴン陥落をラジオで日本に伝えた日本人女性
マイさんと巡った5月のニッポン
東日本大震災で東北の被災地へ向かったハノイっ子
映画「ベトナムの風に吹かれて」VOVでの撮影裏ばなし
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第3章 鳴れ! ベトナムの鐘
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戦争で消えたある村の梵鐘を追う
梵鐘誕生の由来。手がかりは刻まれていた漢字
全国から寄付金が集まり、梵鐘は故郷に帰る
再び消えた梵鐘の行方を追って
たくろうさんハノイで鐘を鳴らす
日越の心の架け橋となった鐘の物語を語り継ぐ
第4章 「動きだした時計」その後
引き裂かれた家族たちの物語を伝える本を書く
帰国、そして30年ぶりの日本での生活が始まるが…
再び動き出した時計、ヤマザキ・ソンさんの旅路
ベトナム「残留日本兵」とその家族を語り継ぐ7
ザンさんへの手紙
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第5章 翔んだ私と母の歳月
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閉鎖的な農村社会と母の生き方への反発
母のはかりごと。深夜の故郷脱出から始まった東京生活
蓄えられた翔ぶ力が、そのときを迎える
日本語教師──私の仕事との出会い
生活基盤を築いたベトナムに母を迎える
母を連れて故郷へ、親しき人々に今生の別れを告げる旅
天寿をまっとうした母をベトナムで送る
あとがき
