
幕末・維新期 筑前今津璞干拓の世界
出版社: 花乱社
- 福岡市西区今津は、安政6年(1859)瑞梅寺川河口の干潟に
長さ六百間余の潮留堤防が築造され現在の地形となった。
明治2年(1869)福岡藩が柳瀬(志摩野)司を新開奉行とし、
未開発のまま放置されていたこの地の耕地整理を再開するが、
明治3年、僅か数カ月の間に四百余の犠牲者を出す大惨事が起こる──。
忘れられた今津干拓の歴史を、史料をもとに丹念に辿る。 - 筑前今津干拓史の世界──その回顧
第一章 安政六年、潮留堤防の竣功
第二章 堤防補強整備のため御用金提出──文久二・元治元年
第三章 明治二年、耕地整理再開 犠牲者が多数発生
第四章 志摩野(柳瀬)司と筑前竹槍一揆
第五章 明治初期の新田
捕章 志摩野司考
資料編/結び
柑子岳城編年史料