倭国の遣隋使
出版社: 海鳥社
- 遣隋使に関するたくさんの矛盾・問題点について,あくまで日本書紀と隋書倭国伝の記述に基づき,合理的な理解を示す
- 西暦600年の遣隋使派遣をきっかけに日本は律令国家へと歩み出すのだが、そこにはいまだ多くの謎がある。物理学を専門とする著者が、日本書紀や隋書倭国伝などを“実験事実”に見立て、遣隋使の諸問題を合理的に考察する
- 西暦600年の第一次遣隋使派遣。これをきっかけに隋・唐との交流が始まり,日本は律令国家へと歩み出す。
いわば古代国家形成の出発点である遣隋使には,いまだ多くの謎がある。
物理学をバックボーンとする著者が,日本書紀や隋書倭国伝などを“実験事実”に見立て,遣隋使の諸問題を合理的に考察。
7世紀初頭の日本の姿を明らかにする。 - 序章 日本古代史における「遣隋使」の重要性
第1章 第一次遣隋使:隋書倭国伝の倭王多利思比孤
倭国伝の「阿毎多利思比孤」は倭王の名前か,天皇の通称・一般名称か
倭国伝の倭王多利思比孤は女王か
倭王の号「阿輩雞弥」と「利歌弥多弗利」という名の太子
日本書紀はなぜ第一次遣隋使に一言も触れないのか
第2章 隋書倭国伝が示す「倭国」という国家の実態
大和政権ではあり得ない郡県制の「軍尼制」による国内統治
倭国では「兵ありといえども征戦なし」
倭国の先進的な裁判制度
倭国国内に阿蘇山がある
第3章 第二次遣隋使:自主独立・対等の倭王多利思比孤
自主独立・対等の立場を明示した「日出ずる処」国書
隋皇帝は多利思比孤を「宣諭」するために裴世清を派遣した
多利思比孤が「朝貢」を認めるという変節
隋の使者裴世清に対する多利思比孤の熟慮の対応
第4章 日本書紀が提起する遣隋使の諸問題
奇妙な事件,百済での国書盗難事件
日本書紀によって造作された隋皇帝国書提出儀式
隋皇帝国書は多利思比孤の「日出ずる処」国書への返書
多利思比孤の遣隋使蘇因高は小野妹子か
日本書紀はなぜ「日出ずる処」国書を載せないのか
実際には提出されなかった「東天皇」国書
第5章 隋書倭国伝の倭王多利思比孤は推古天皇ではない
「多利思比孤≠推古天皇」を示唆する隋書倭国伝と日本書紀の主要な内容
「多利思比孤=推古天皇」を示唆する日本書紀の事項
第6章 隋書倭国伝の倭国は筑紫政権の筑紫国である
6世紀前半,筑紫君磐井の筑紫国
隋書倭国伝の倭国に無理なくつながる筑紫政権の筑紫国
7世紀,筑紫国と大和国の併存を示す旧唐書
筑紫政権の実像と大和政権との友好的関係
結論 倭国の遣隋使
別章 冠位十二階は大和政権の冠位制度ではない
(一部抜粋)