ルソーと人食い 近代の「虚構」を考える
出版社: 共和国
- カリブ海の視点からルソーを批判的に捉えて「近代」の暴力性を明らかにし、思想史や教育史に新たな知見をもたらす類書のない成果。
- ルソーがその教育論『エミール』で、大航海時代のガリフナ人を「人食い人種」と述べたのはなぜか。カリブ海の視点からルソーを批判的に捉えて近代の暴力性を明らかにし、思想史や教育史に新たな知見をもたらす類書のない成果。
- カリブ海に生きるガリフナの民の視点から世界史を読むと見えてくる、近代の「暴力」。
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「民主主義」「自由」などの概念によって、現代に大きな影響を与えた18世紀フランスの哲学者ジャン゠ジャック・ルソー(1712-78)。彼はその教育論『エミール』(1762)で、大航海時代のガリフナ人を「人食い人種」だと述べた。だが、なぜ「人食い」が教育として論じられたのか。同じ『エミール』で、ルソーは「子どもは人間ではない」とも説いている。これらの議論はどう接続するのか?
ガリフナ文化研究の立場からルソーを批判的に読みかえることで「近代」の暴力性を明らかにし、従来の植民地研究、国民国家論、教育史など、ジャンルを横断して新たな知見をもたらすスリリングな成果。
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装釘=宗利淳一
定価=3200円+悪税 - はじめに
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序章 問い、視点、方法
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1、ルソーへの問い、「子どもは人間でない」
2、文化の三角測量
3、カリブ、カニバル、カライブ
4、真理の闇とアプリオリな観察
5、人食い研究史とW・アレンズの『人喰いの神話』
6、レヴィ゠ストロースの「われらみな食人種」
7、人食いを語りたがる文化
8、人食い言説の非対称性
9、植民地史料の批判的分析
10、カリブ海域の民族状況
11、カニバリズムという差別用語
12、本書の構成と各章の要約
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第一章 「人食い」言説の系譜
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1、野蛮と高貴
2、東方の楽園と世界の果ての人食い人種
3、キリスト教と人食い
4、マルコ・ポーロとマンデヴィルの東方
5、コロンブスとカニバル
6、人文学者ペドロ・マルティルと「高貴な野生人」
7、カニバル法、オビエード、ラス・カサス
8、アメリゴ・ヴェスプッチの人食いの記録
9、ピガフェッタの人食いの記録
10、ミュンスターの『宇宙誌』
11、イエズス会宣教師による聖なるカライバ
12、ハンス・スタデンの『本当の物語』
13、テヴェの『南極フランス異聞』とレリーの『ブラジル旅行記』
14、ブラジルとカリブを繋ぐもの
15、ブラジル、アンドラーデの「人食い宣言」
16、モンテーニュの「人食い人種(カニバル)について」
17、モンテーニュの「楽園」と「子ども」
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第二章 『人間不平等起源論』
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1、ルソーの「教育案」と音楽劇『新世界発見』
2、ルソーの第一論文『学問芸術論』と「失楽園」
3、ルソーの第二論文『人間不平等起源論』と「人間の歴史」
4、ルソーの「自然人」とサルの進化
5、『テルトル神父の博物誌』
6、ルソーによる『テルトル神父の博物誌』の解釈
7、ホッブズ批判とルソーの戦略
8、ルソーの詭弁
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第三章 『エミール』
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1、モンテーニュからルソーへ
2、ロック批判としてのルソーの『エミール』
3、架空への没入と現実逃避
4、人間の歴史から個人の成長へ
5、実感がないという実感
6、『エミール』のなかのカライブ人
7、『エミール』のなかの人食い人種
8、ルソーの『言語起源論』とフランス
9、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と文化帝国主義
10、ルソーと文字
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第四章 カリブからの問い
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1、文字を必要としない社会
2、文明を捨てたインディアン・ワーナー
3、無文字社会の文明
4、無文字社会の文字
5、ガリフナの集合的記憶
6、無文字社会と子ども
7、なぜ、ルソーは「子どもは人間でない」としたのか
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附章 日本のおかしなルソー
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1、日本におけるルソーの普及と研究史
2、ルソーの「子どもの発見」言説の状況
3、ルソーを「子どもの発見者」と表わすことは妥当か
4、戦前の新教育運動と「子どもの発見」
5、戦後の『エミール』の普及
6、戦後の『エミール』翻訳と教育界
7、ルソーの「自然に帰れ」の拡散と収束
8、戦後の新教育運動と「子どもの発見」
9、発見から発見者へ
10、アリエスの「子ども期の発見」と戦後教育学
11、教育という権力装置
12、「子どもの発見」という「虚構」と「人間」
おわりに
参考文献