コンドフカ ─日露の狭間を生きた一族の記録─

コンドフカ ─日露の狭間を生きた一族の記録─

出版社: 恵雅堂出版
著者: 相川 和子
  • 「満洲の林業王」となった近藤繁司とその一族の記録。伐採地の白系露人たちは、その地を誇らしく「コンドフカ」(近藤村)と呼んだ。
  • ウラジオストクで財を成し、満洲国建国後ハルビンに拠点を移し「満洲の林業王」となった近藤繁司とその一族四代の記録。北満の伐採地、鬱蒼たる谷間に住む白系露人たちは、その地を誇らしく「コンドフカ」(近藤村)と呼んだ。
  • 日露の狭間で生きた一族四代にわたる物語。近藤繁司(しげし)は、近藤林業公司とホテル・ニューハルビンの経営によって満洲で最も名の知られた実業家だった。終戦後、ソ連軍の監視下におかれた繁司は、1948年ハルビンの街頭で姿を消し、行方不明のまま今日に至っている。本書は、その孫になる著者が、四代にわたってロシアと関わり続けた一族の歴史を豊富な資料と写真によって物語る。曽祖父は、日露戦争勃発時の居留民引揚げに活躍したウラジオストク居留民会の初代会長川邊虎(たけき)だった。繁司はこの虎に見込まれ女婿となり、これを後ろ楯として「商船組」(港湾・海運業)を起業し「シベリヤ出兵」特需で財を成した。しかし1922年ソビエト政権成立以降はソ連政府からウラジオストク退去を執拗に迫られ、ついに満洲国建国の1932年に繁司は追い出されるようにしてハルビンに拠点を移し、関東軍の要請により東清鉄道沿線の北満の広大な林区(四国の面積に匹敵)の伐採権をロシア人経営者より買取り「近藤林業公司」を創業した。「コンドフカ」(近藤村)はその林区の一つにある伐採地のことで、ここに働く白系ロシア人(革命を逃れて極東に流れてきたロシア人)たちは、繁司に対する尊敬と親しみからこの村をこう呼んだ。繁司の甥だった著者の父親高橋誠一は、繁司に後継者と期待され近藤林業に入社し、さらに繁司の長女でいとこにあたる清子と結婚するが、営業の最前線で責任者として関東軍との折衝に神経をすり減らし、1937年著者一歳の時に病没した。その同じ年、繁司はやはり関東軍の要請によりハルビンの超一等地に豪華ホテル「ホテル・ニューハルビン」を建設・開業し、繁盛させることになるが、ここでも繁司はロシア人を多く雇用した。繁司の起業は常に国策に沿ったものであったが、それにもかかわらず「商船組」も「近藤林業公司」も関東軍から理不尽な扱いを受け続けた。繁司は無実無根の「通匪、通ソ」(匪賊、ソ連との内通者)の疑惑までかけられ、家族たちもその噂に苦しんだ。一家が日本に帰国したのは戦後8年もたった1953年のことであったが、帰国後、著者もまたソ連、ロシアと関わる人生を歩み出す。
  • 第1章 日露相剋の狭間で (1888〜1932)
      ■水戸士族 川邊虎、ウラジオへ行く
        「浦潮斯徳居留民団」の初代会長に/敦賀蓬莱町の家/他
      ■虎に見出された快男児、近藤繁司
        繁司と静子/繁司、独立して「商船組」設立/「商船組」、日本軍撤退で窮地に/ついに撤退/他
    第2章 幻の「満洲帝国」   (1932〜1945)
        近藤林業公司の創立/各林区の様子/コンドフカ/両親の結婚/非国民の汚名/ホテル・ニューハルビン/母の再婚/他
      ■ハルビンでの生活
        近藤邸の様子/祖父との貴重な思い出/関東軍の大移動/ソ連軍侵攻/他
    第3章 敗戦から日本帰国まで (1945〜1953)
      ■婦女子だけで残される
        オルガン・コンドウ/北京街の家─不思議な待遇/日本人帰還は始まるが…/近藤の最後/引揚げ決定/舞鶴上陸、涙の再会/他
    第4章 私の戦後   (1953〜)
      ■ようやく始まった〝私の戦後〟
        東京外国語大学入学/就職活動で初めて知った男女差別/モスクワ駐在員事務所/結婚/育児退職/ロシア語通訳協会/他
    資料編
    1929年、当局の家宅捜査による差押品の証書/近藤繁司が日本の外務大臣に宛てた書面/「商船組」存続問題に対する協議の内容/近藤林業公司沿革の概要/三江木材公司事業経過/『狭間を駆け抜ける近藤繁司』阿唐氏論文/父、高橋誠一の日記(1936/1938)/他

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