
三人の藤野先生、その生涯と交流
出版社: 大阪大学出版会
- 緒方洪庵の高弟・藤野升八郎、魯迅の恩師・厳九郎、腸炎ビブリオ発見者・恒三郎―三人の藤野先生に流れる適塾の精神に迫る。
- 緒方洪庵に学び福井の在村医として活躍した藤野升八郎、仙台医学専門学校で魯迅を導き生涯の恩師として慕われた厳九郎、医学史研究を通じ司馬遼太郎と親交を深めた細菌学者・恒三郎―三人の藤野先生に流れる適塾の精神に迫る。
- 道のため、人のため―緒方洪庵の精神の系譜から三人の藤野先生の生涯と交流を読み解く。
幕末大坂の蘭方医・緒方洪庵は優れた医者、蘭学者として名を馳せる一方、蘭学塾“適塾”を開き、多くの門弟を育てた。越前国坂井郡本荘郷下番村(現在のあわら市)出身の藤野升八郎(1822~1882)は適塾で洪庵に学んだ高弟の一人である。帰郷し在村医として活躍するようになってからも、升八郎が洪庵やその家族へ送った書簡が多く残されており、洪庵との間に学問を越えた交流があったことがわかる。升八郎の息子の藤野厳九郎(1874~1945)も父同様地域医療に力を注いだほか、教育者として中国からの留学生・周樹人(後の中国の文豪・魯迅)を懇切丁寧に指導した。これに感激した魯迅は、厳九郎を生涯の恩師として尊敬し続け、その思いは自伝的回想記「藤野先生」に表現された。この作品は、中国の国語教科書(中学2年生)に掲載されており、厳九郎は中国で大変有名な存在である。その甥で升八郎の孫にあたる藤野恒三郎(1907~1992)もまた医の道を志し、細菌学者として活躍した。大阪大学微生物病研究所時代の1950 年、大阪府南部で起こった食中毒事件の原因菌として新種の細菌・腸炎ビブリオの分離に成功し、のちに同研究所第4代所長にもなった。その傍ら、蘭学・医学史研究にも積極的に取り組み、適塾顕彰活動を通じて作家の司馬遼太郎と親交を深めた。
三人の藤野先生の功績はそれぞれ異なるが、そこには共通して洪庵の倫理や教育精神から受け継がれた適塾の精神が見いだせる。大阪大学総合学術博物館の企画展「三人の藤野先生、その生涯と交流―升八郎と洪庵、厳九郎と魯迅、恒三郎と遼太郎―」をもとに、新たな知見や資料も掲載。 - はじめに
第1 章 緒方洪庵の高弟・藤野升八郎(西川 哲矢)
1 藤野家の医業
2 升八郎と洪庵
3 福井の適塾門下生との交流
コラム1 緒方洪庵と福井―種痘をめぐる交流―
第2 章 魯迅の恩師・藤野厳九郎(西川 哲矢)
1 藤野厳九郎の教育と医業
2 厳九郎と魯迅
3 厳九郎と魯迅の顕彰活動の歴史
コラム2 魯迅と豊中市―鳩をめぐる平和の願い―
第3 章 腸炎ビブリオ発見者・藤野恒三郎(西川 哲矢)
1 腸炎ビブリオ発見の功績
2 文学青年から医の道へ
3 医学史への傾倒
4 教育者・恒三郎
5 大阪大学における適塾顕彰活動のパイオニア・恒三郎
おわりに
藤野家関係略年譜
主要参考文献
あとがき
解説1 藤野升八郎宛橋本綱維書簡について(山田 裕輝)
解説2 大野藩の種痘と林雲渓・升八郎・洪庵(柳沢 芙美子)
解説3 大野藩の蘭学―適塾・升八郎との交流―(田中 孝志)
解説4 魯迅と増田渉―医師にならなかった二人―(赤澤 秀則)
解説5 藤野恒三郎旧蔵顕微鏡(八耳 俊文)
活動紹介1 あわら市における厳九郎顕彰活動(後藤 ひろみ、藤 共生)
活動紹介2 大阪大学適塾記念センターの創設と活動(松永 和浩)
特別寄稿 私の藤野先生(竹田 美文)