
声を聴くこと ゆらぎと気配の弁証法
出版社: 春風社
- 私は ここに います/いました
戦争、飢饉、災害、性暴力――災いを語ることも、それを聴くことも、難しい。社会に聴かれぬ人々がさらに透明化されてもなお、その声を聴くための視点を、文学・歴史学・哲学・演劇学・社会学など複数の領域から、論考・エッセイの形態で多角的に提示する。
[はじめに]より
みずからの解釈や合点を入れずに聴くことは、その語りの向こうに、飲み込まれ、途切れたあまたの人々のあまたの声があると知り、しかしそこに踏み入らず、ただ受け止める―そうした姿勢が問われる。そして、それは簡単ではない。掴めない焦りや不安、寄る辺なさに、聴き手は「ゆらぐ」。「ゆらぎ」は通過儀礼ではないため、一度痛い目にあったからもうわかった、などとはならない。聴くという営為は「ゆらぐ」ことそのものである。 - はしがき 【間瀬幸江】
1.[論考]
「私」をめぐる問い――第一世代の戦争体験を書く第三世代の作家、フランソワ・ヌーデルマンとアンヌ・ベレスト 【國枝孝弘】
2.[エッセイ]
静かにささやく声が聞こえた 【栗原健】
3.[論考]
言葉と辞書の時代性――大槻文彦『言海』を読む 【菊池勇夫】
4.[エッセイ]
翻訳者の視点から――沈黙を見る 行間を読む 【永田千奈】
5.[論考]
証言における真理と倫理の交差 【越門勝彦】
6.[エッセイ]
建築計画学から考える 【石井敏】
7.[論考]
『シャイヨの狂女』再読のアルケオロジー 【間瀬幸江】
8.[エッセイ]
一つの史料から 【菊池勇夫】
9.[論考]
遊びとして押し寄せる子どもの声――支援者のゆらぎと「余白の時間」 【安部芳絵】
10.[公開シンポジウム「声の気配(けはい)を聴く」レスポンス]
声を聴く私たちと、その複数性について――アフガニスタン記念碑(ヴィクトリア)、帝国戦争博物館(ロンドン) 【酒井祐輔】
11.届けられた声――シンポジウム来場者アンケートから 【間瀬幸江】
「声の気配」を聴くことは、みずからの声の輪郭をも描き直す営みである――あとがきにかえて 【間瀬幸江】
