宗教文化は誰のものか
出版社: 名古屋大学出版会
- 信仰の内か外かを越えて、〈事件〉の記憶から人々は何をつくり上げてきたのか。「民衆宗教」=「邪宗門」の戦後史。
- 信仰の“内か外か”を越えて、〈事件〉の記憶から人々は何をつくり上げてきたのか。平和運動を導くとともに、「民衆宗教」像の核ともなった「邪宗門」の戦後史。
- 信仰の“内か外か”を越えて――。最大の宗教弾圧事件の記憶は戦後、いかに読み直され、何を生み出してきたのか。教団による平和運動を導くとともに、アカデミアにおける「民衆宗教」像の核ともなった「邪宗門」言説の現代史から、多様な主体が交差する新たな宗教文化の捉え方を提示。
- 凡例
序 章 大本弾圧事件の戦後
一 事件の残骸
二 〈事件〉が切りひらく世界
三 読みの運動と解釈共同体
四 協働表象が生じる場
五 結節点としての大本七十年史編纂会
六 本書の構成
七 戦前期大本の歩み
第1章 戦後大本と「いまを積み込んだ過去」――前進と捻じれの平和運動
はじめに
一 大本の平和運動をとらえるためのふたつのスケール
二 七王も八王も王が世界に在れば……
三 出口伊佐男の世界連邦主義
四 人類愛善-世界連邦運動の展開
五 人類愛善-原水禁運動のはじまり
六 出口榮二の平和思想
七 人類愛善運動とアジア主義
八 平和運動の軋み
九 破裂
おわりに
第2章 〈事件〉をめぐる対話
はじめに
一 「神さまの摂理」としての〈事件〉
二 大本邪教説の再構成
三 予備調査へ
四 〈事件〉をめぐる対話
おわりに
第3章 宗教文化は誰のものか
はじめに
一 大本七十年史編纂会の形成
二 “民衆宗教”という表象
三 教祖の人間化
四 戦争と平和
五 〈事件〉は誰のものか
六 『大本七十年史』とその後
おわりに
第4章 “民衆”の原像――出口榮二と安丸良夫
はじめに
一 アイヌへのまなざし
二 “土”の文化と縄文
三 「万教同根」とアジア主義
四 読みの運動のなかの『出口なお』
五 無意識としての神
六 筆先の「改編」
七 “民衆”の原像
おわりに
第5章 “民衆宗教”の物語の起源――教祖をめぐる欲望の系譜学
はじめに
一 新宗教研究と複数の経路
二 単層的な教祖像
三 深層への遡行
おわりに
第6章 反倫理的協働の可能性――高橋和巳『邪宗門』を読む
はじめに
一 高橋和巳の衝動とひのもと救霊会
二 ひのもと救霊会の構造
三 〈事件〉の変奏
四 協働の反倫理性
おわりに
終 章 批判的宗教文化への視角
一 “いま”を生きる大本
二 苦闘の軌跡へ
三 捻じれた連続性
四 “本質”をめぐる解釈闘争
五 戦後社会のなかの“民衆宗教”
六 分析的介入の課題
註
大本関連年表
あとがき
図表一覧
索引 - 永岡 崇著;0102;02;信仰の内か外かを越えて、〈事件〉の記憶から人々は何をつくり上げてきたのか。「民衆宗教」=「邪宗門」の戦後史。;20201101