ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論
出版社: 彩流社
- 取材の自由の法的無保証、権力側からの便宜供与に依存した権力の下僕、根底にある制度的・構造的な矛盾に対し現状打開を目論む。
- 日本における「取材の自由」の法的無保証、権力側からの便宜供与に依存した権力への監視無き特異な報道体制、根底にある制度的・構造的な矛盾に対し既存メディア論にない未来を切り開き、真っ当なジャーナリズム構築を目論む。
- 日本の「マスコミ」に権力の監視など期待できるのか?
この国の特異な報道のありようを分析し、
その根底にある制度的・構造的な矛盾を浮き彫りにする。
日本では「取材の自由」は法的に保障されていない。
したがってこの国おける「取材」は
権力側からの便宜供与に立脚してのみ可能となり、
必然的にマスコミは権力の統治機構の一アクターになり果てる。
それでも、この国に「ジャーナリズム」を見出すこと、
未来に向かってそれを構築することは可能なのか?
これまでのメディア論には存在しなかった新しい視座を提示。 - 問題提起 「取材の自由」のない国で、いま起きていること
(大石泰彦)
第1部 ジャーナリズム研究という不幸
―ないものを、あるかのごとく
Ⅰ イデオロギーとしての取材報道の自由
―問題提起をうけて(西土彰一郎)
Ⅱ フェイクの時代に「取材の自由」を論ずる虚無と絶望
(立山紘毅)
Ⅲ 「ジャーナリストの自由」の不在が意味するもの
(大石泰彦)
Ⅳ ジャーナリズムという日本語のトリセツ
(木村英昭)
Ⅴ 日本「マスコミ」はジャーナリズムではない
―その虚構と擬制の構造分析(花田達朗)
第2部 ジャーナリストという不幸―非在の職業を生きる悲惨と栄光
Ⅰ 記者が総社畜化した時代
(佐藤光展)
Ⅱ 人材マネジメントの改革なくして未来はない
(辻和洋)
Ⅲ 「男磨き」の「マスコミ」を離脱、ワセダクロニクルへ
(木村英昭)
Ⅳ 竜宮城からの脱出
(渡辺周)